結局のところ、全部全部、本当はみんな一緒で、
ちがうのは度合いだけなんじゃないの、と思う。
やさしさもずるさも
悪い心もいい心も
知ってるのも知らないのも
賢いのもアホなのも
楽なのも悲しいのも
残酷なのも慈悲深いのも
みんな同じ要素を
同じように持っていて、
でもご先祖の歴史とか、育った環境とか
性格とかきっかけとか努力とかによって、
その度合いがアメーバーみたいにうにゃうにゃ変化していって
何かが突出して目立つと、
この人は、「優しい人」「ずるい人」みたいな印象を
他人に与えるのだと思う。
だから、「まさか人を殺すような人ではなかったのに・・・」
というご近所や元同級生からの発言はよくわかる。
どんなに「まじめな人」でも「残酷さ」の要素を持っていないとはいえないから。
そう考えると、あっという間にそっち側にいけそうな気がしてくる。
私とは全然違う人だと思っていた人が、実はすぐ隣の人だったりするかもしれない。
この人のことはまったく理解できない、と切り捨てることがなくなるような気がする。
私がもし、その環境で生きてきたら、どう感じるんだろう。どう生きるんだろう。
私が生きて育ててきた私の価値観だけで人の悲しみや苦しみを量らないこと。
時々、それを考えすぎて、変に混乱することがあるけれど、
まずは人の気持ちになってみるのが大切なんだろうと思ってます。
私はその人ではないので完全にはできないけど、とにかくイメージしてみるの。
拒絶したくなるような敵対している思想でも、人でも、なんでも。
そうやってがんばって「慮っていく」ところに、
家庭でも地域でも社会でも世界でも、
とにかく「仲良しの根っこ」があるような気がするから。
参考:映画『クラッシュ』
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