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馬鹿にしない

他人を馬鹿にする行為の、なんともアホらしいこと。

自分が知っていることを相手が知らない時、
そんなことも知らないのかと馬鹿にしないこと。

自分がそれを知っている間に、
相手は別のことを学んでいるだけだ。

学んでなかったとしても、感じて経験して積んでいる。

「おまえらの知識なんて、校庭の蟻んこくらいだ」
と中学の頃の塾の先生は言ったけれど、
実際は地球の、宇宙から見た蟻んこかもしれない。

つまりすべての人は、知るべき事柄の、ほんの一部を知っているだけ。
相手は、たまたま私が知っていることについて知らなかっただけ。
私も、相手の知っていることについて知らないことがあるはずなのだ。

しかも、相手の「知らない」は、それについて私が説明したその瞬間に、
「知る」に変わる。つまり、あまりにも瞬時に、イーブンになる。

もちろん経験が相伴うことによって
表層的な「知る」が「解る」になって行けばいくほど、
知識として脳に残り、体験として体に残っていくわけだけれど、
ただ「知っている」かそうでないかという土俵での戦いは、
あまりにも稚拙すぎると思う。

知らないなら、知ればいい。
「知らない」から「知る」への壁は、
ただ「知ろうとする」という意気込みだけで
いとも簡単に超えられる。

しかもその意気込みはまったく、
個々人の価値観に因る。
別に興味ないから知りたくもない、だってありなのだから。

そう考えると、「そんなことも知らないのか」と思うこと自体が
なんともアホらしく思えてくるのだ。

相手にとっては別に知りたくもないことで、
知ろうと思えばすぐに知れるという
あまりにも薄い壁一枚を隔てているだけなのに、
一方で勝手に優越感に浸っているだけなのだから。

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コメント (2)

hirasawa:

その考えにすごく共感できるのに、出来てない自分。

それを思ってしまうときってのは、例えば、その仕事をする上で知らなければならないと思い込んでいる事を相手が知らない場合など、どうしてもそう思ってしまう。

まぁボクの場合、
テレビとか全く見ないので、芸能人の名前挙げられて、そんな事も知らないの?とバカにされてますがorz

kobayashi:

>hirasawaさん

私も、完全に出来ているとは思えないですよ。心のどこかでコソッと思ってるかもしれないし。

愛ある「馬鹿にする」もあると思いますし、全部の「馬鹿にする」についてクダラナイと言っているわけではないのです。

どちらかというと、自分が「知らない」ということで、そんなに落ち込む事はないんだと、自分自身に言い聞かせているのかもしれないです。

仕事は・・・。
知らなかった時の自分自身を思い起こすようにして、前職では後輩にいろいろ教えていました。

私も先輩から教えてもらったから、その時教える事が出来たんだよなと。

難しいけれど、「知る」「知らない」の間がとても薄っぺらいことに気が付くだけで、相手に抱いてしまう汚れた心がすこし、薄くなるような気がするのです。

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2008年04月21日 00:01に投稿されたエントリーのページです。

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