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無関心

愛情と憎悪は表裏一体。

相手に腹を立てているうちは、
まだ愛があるということ。

一方、愛情と対極をなすのが、無関心。
相手が何をしようが心が動かなくなったら、
愛が薄くなったということ。

この位置関係をぼんやりかんがえていたら、
友人が無関心についてブログに書いていた。

・・・

無関心というのは

知らないのではなく、

積極的に隠している、逃げている場合がある。

抑圧された心的過程(トラウマ)が潜んでいる。

・・・

無関心の中にも、
そのトラウマを直視することから逃げているケースがあるということか。
パックリ開いた傷口から、思わず目を背けてしまう。

2年前、ヒールの高い靴を履いたまま自転車の二人乗りをして、
車道から歩道に上がるときにヒールの部分が後輪に絡まって、
そのまま足も絡まって大出血をした。

時代劇とかサスペンスドラマで見るような、
嘘みたいな量の出血で、靴の中が血の海だった。

意外にも気持ちは落ち着いていて、
子どもの頃、5cmの釘が足の裏にささっても
ふくらはぎに竹の棒が穴が残るほど刺さっても
少しも泣かなかったという母の遺伝子を思っていた。

しかし帰宅して足を洗ったものの、
次から次へ流れ出づる血の出所となる奥深くを
直視することだけは出来なかった。
あまりにも深かったから。

そのうちに目がチカチカしてきたので、
適当に絆創膏を貼って、そのまま寝た。

今となっては昔の話。
病院では、「縫うべき皮膚がない」と怒られたけれど、
その時すでに私は、グロテスクに変形した傷口を
なめるように見ていた。

心のどこかで痛みを感じつつも、
あえて直視しないというのは、一つの防御反応なのだろう。

しかしやがて、見れる。

子どもの頃の「食わず嫌い」が突如克服できるように、
客観視できる時がくる。

それまではそっとして置くのもいい。

無関心が、例えばそうした拒絶反応だとしても、
問題が何一つ解決していなくても、
また解決する兆しが一向に見えなかったとしても、
それと対峙する人の心が変わってしまえば、
痛くも痒くもなくなるのだから。

それまではとりあえず、そっぽを向いておく。
抉らない、見せない。
かさぶたが醜く覆って、時間が経つとキレイになっている。

そういう処方箋が適切な時がある。
そう気がつけた経験に感謝、
またそれを分かっていた友人にも、感謝。

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2008年03月16日 20:45に投稿されたエントリーのページです。

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