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せめて、メディアを疑う

アニメで『デスノート』を少しだけ見た。巷で沸いているようだ。
名前を書くと、書かれた人は必ず死ぬノートがあるらしい。

悪いやつはこの世からいなくなればいい、という発想から、
「テレビで放映された犯罪容疑者」が次々に殺されるという事実に
何名かが気がつき、騒然とするというシーンを見た。

また、そのノートのルールの実効性を確認するために、
死刑確定囚の名を試しに書いてみよう、という提案もあった。

戦慄した。

まず、「テレビで容疑者として放映された人」=「真犯人」という
図式が当たり前のように成り立ってはいないか?

また、死刑確定囚ならば殺しても良いのか。

この二つの発想のどこにも、「冤罪」の可能性が潜んでいない。
あまりにも当たり前だったので、うっかり聞き逃すところだった。

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日本のメディアは、そのわかりやすさのせいか、
一般受けの良さのせいか、殺人事件をよく取り上げるらしい。

ワイドショーとか見ていても、「容疑者」がいかに
悪いやつになりえる背景を持っていたかか、ということが
印象付けられるように描かれている。

もちろん稀に、メディアによる独自調査によって、
検察の見過ごしていた視点を与えることもあったろう。
しかし多くの場合、視聴者を勧善懲悪の二項対立の一方に
引き込むようなセンセーショナルな表現を使っていないだろうか。

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「自白を強要させられました。」

裁判中の被告人の発言でよく聞く言葉でしょ、これ。

日本の検察官世界の出世システムとか
いろんな個々人の利己的な意図が絡み合うと
誰も見ていない場所で、「濡れ衣を着せられる」傾向がある。

そういう忌まわしい慣習が、全然きれいになっていないのが今の日本。


「・・・警察で西君は逆さまに吊るされて、水が入ったバケツの中に頭から入れられて」
「取調べのときですか」
「そうです」
「石井さんは?」
「私は足の下に棒ば五本も六本も入れられて刑事たちに踏まれました。痛かですよ。」

上記は「今」ではないが、
「自白を強要されるほど」の取調べなんだから、
それは本人にとってはひどいものだろうと想像ができる。

ふと、名古屋刑務所事件を思い出す。
どんな背景を持つにせよ、人を人として扱え。

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死刑は、世論が不安でいっぱいになったときに、
背中を押されるように執行される。法律が変わって厳罰化する。

オウム真理教事件の突発を契機として世の中には 死刑廃止論は冬の時代になったというような声が広がってきて、 法務局もさっそく死刑の執行を持ってこれに呼応した。
だって、みんなが望んでいるから。

世論は多くの場合、メディアが先導する。扇動する。
メディアは、「現実を編集して」放映していることを忘れてはいけないなと思う。

死刑判決を言い渡されて、何度も再審を要求して、
晴れて濡れ衣であったことを証明して出所したある人は、
すでに32年の時が過ぎていて、出所した後も社会的偏見により、
親族にさえ受け入れてもらえなかった。

そして彼の娘は、「穢れ」として幼い命を奪われていた。

メディアは大切なことを放映していないし、
必ずしも真実を報道していない。

そして、メディアによってつけられたイメージは根強く、
人々の差別意識に影響してしまうと、私は思う。

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何かを一方的に攻撃するような気配を感じたら、
同調する前に、一度、この人の言っていることは本当かと、
疑う心を持っていて欲しい。

難しい?

では、こう想像してみるのがいいと思う。

ニュースでみた「容疑者」が、あなたの愛する家族だったら?
恋人だったら?大切な友人だったら?

無実だとわかっているのに、検察は
無理やりな言いがかりをつけて証拠物品を上げている。

そして「本人が自白したため立件逮捕されました」という
アナウンサーの淡々とした言葉と共に、
愛する人が顔を隠され、体格のいい男につれていかれる。

自白が力によって強制されている可能性があるのに
テレビではすっかり悪者扱いをされている。

その人の一生を、本当に台無しにしてしまう冤罪の恐ろしさを、
もう少し身に引き寄せてイメージするということを、
死刑制度を支持するのであれば、やってみてもらいたい。

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2008年02月10日 20:19に投稿されたエントリーのページです。

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