「女遊び」について思うまま、メモ。分からないことの一つ。
男性同士の会話の中で、「いや、遊びだから」という、
女性との関係を表すフレーズがある。
一般に、「女遊び」という言葉がある。
しかし「男遊び」とはあまり聞かない。
ためしに、goo辞書で引いてみたが、やっぱりそうだった。
女性同士の会話でも、
少なくとも私の知りうる関係の中で、
「遊びだから」は、ない。
もしかすると、多くの場合遊ばれている女性の方は、
その自覚がないのかもしれない。
情報の非対称性の、なんともアンフェアなること。
教えて!gooで
「彼氏の女遊びがとまりません」という相談者に対して、
下記のように答える人がいた。女遊びと浮気は違うらしい。
女遊びとはいいませんね、この場合浮気性というのが正しいでしょう。女遊びというのはうなるほどのお金と男としての魅力を持ってお金でどうにでもなってくれる女性と文字どうり遊びで付き合うことをいいます。その過程でマナーとしても起きた事に責任も全てお金を支払い、後くされを残さず女にも恨まれないように別れることが出来る甲斐性のある人がすることです。
浮気より女遊びの方が、フェアなのかも。
しかし職業柄そうでない女性が、そんなに簡単に割り切れるものか、と
大杉栄と神近市子の一件を思い出し、やはり思う。
自由恋愛主義を公然と掲げ、あれこれ女性関係を持ちまくった大杉栄。
その主張を「理解していた」前提で付き合っていたはずの神近は、
ある晩、刃渡り5寸の短刀で大杉の頸部を刺している。
あぁ、おそろし。
いや、ここではその行為そのものよりも、
そうさせてしまうほどの、本人の悲しみを知るべきだろう。
基本的に女の人が見知らぬ男の人に触れることは、
まるでゴキブリに触るように気持ちの悪いことらしく、
女性の方が別の男性と浮気をしているとなると、もうそれは
男性の場合のそれと比べてかなり二人の関係として絶望的だという
ことがかかれていた。
もしそれが正しいなら、
浮気と分かっていながら関係する女性の、
その男性に対する思いも真剣なんではないの。
それが遊びとわかったら、と想像すると胸が痛い。
人によってはそりゃ、刺すほどの憎悪になるんだろうとも思う。
ふと、以前お付き合いした人が、
占い師の人に「いろんな女性の念を背負ってます」って言われたと
私に言ってきたのを思い出した。
こわい、、こわいよーと思いつつも、
その女性の思いを重ねて、つぶれるような気持ちになった。
「遊び」と一方で割り切っていても、
本人が自覚し得ないところで、激しく傷つく人がいて、
もしかして誰かの悲しみの念を背負っているのだとしたら、恐ろしい。
お金で全てが済むなら、そっちがよろしい。
『欲望する脳』(著:茂木健一郎)の一文に下記のようなのがあった気がする。
唯一倫理観のみが、人間を規定する。
そして、今読んでいる『死刑』(著:森達也)の中の一文。
「・・・彼は、人の悲しみを共有できる想像力を持っていたと考えられますか」
学校の倫理の授業は、そういうことの大切さを教えてくれたんだと思う。
人の悲しみを共有する想像力を持つこと。
やっぱりわからない異性のこと、という人間世界における
この普遍の壁を、感情と想像力を持って越えてみる試みを。