わからない
鳩山さんが、異例の速いペースで死刑執行にGOサインを
出している、というニュースを見ながら、
ちょうど今、『死刑』(著:森達也)を読んでいるのもあって、
「死刑制度は、賛成?反対?」と弟に聞いてみた。
弟は、しばらく唸ってから、
「おれは、被害者の遺族になっていないから、わからない。」と答えた。
そうだな、と思った。
まだ、本を途中までしか読んでいないというのもあるし、
弟が言うのも間違いないと思って、やっぱり私も結論が出ない。
ただ、うっすらと、冤罪の可能性を考えながら廃止すべきと思ってる。
そういうベクトルをもって、本を読むし、ニュースを見ていることは自覚している。
(読後の感想は、後日に。)しかし、今は、わからない。
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世の中は、わからないことだらけだ。
物事の一側面を見て、決め付けて、切り捨てていないか。
そう自問する姿勢を忘れてはいけないなって思うことがある。
身近な人間関係もそう。
この人は、こういう人だから。
ともすると、やりがちな決め付け。こういうの、やめようと思う。
特に悪い面に着目することを避けよう。
そこから人間関係を終わらせることは、あまりに安易過ぎる。
『死刑』を読んでいても思う。
人は全然一貫してない。矛盾だらけの生き物だ。
というか、それこそが人間、なのかもしれない。
本の帯には、こう書かれていた。
人は人を殺せる。 でも人は、人を 救いたいとも思う。
『孤独と不安のレッスン』(著:鴻上尚史)には、こうあった。
人間は分かり合えない存在です。
すべての結婚は、じつは国際結婚と同じなのです。交際もそうです。
「分かり合えない」という前提を持つことが大切、と。
あなたのこと、全然わからない。だから知りたいの、と思うこと。
そうやって『他者』と付き合っていくこと。
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さて、なぜこんなことを考えたのか。
まったく関係ないことからだった。
今日、たまたま谷川俊太郎の詩に出会って、
その温かさに身震いしたから。
彼の翻訳した本を小学生の頃だったかに読んで、
そんなに心が揺れなかったので、
「この人は、そんなに好きでない」と決め付けていた
ということに気がついたから。
なんてもったいないことをしたんだろうって思ったのだ。
しぬまえにおじいさんのいったこと(谷川俊太郎)
わたしは かじりかけのりんごをのこして しんでゆくいいのこすことは なにもない
よいことは つづくだろうし
わるいことは なくならぬだろうから
わたしには くちずさむうたがあったから さびかかった かなづちもあったから
いうことなしだわたしの いちばんすきなひとに
つたえておくれ
わたしは むかしあなたをすきになって
いまも すきだと
あのよで つむことのできる
いちばんきれいな はなを
あなたに ささげると
ひとたび、この人は私に合わないからって判断をしてしまうと
それ以降、その人を知ろうとする努力をしない。
『他者』でなく、『他人』にする。(『孤独と不安のレッスン』より)
とんでもなく素晴らしい側面を持っているかもしれないのに。
「わからない」を前提に、人が絶対に持つ温かさを知るために、
私は、あなたと向き合っていきたい。