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2008年02月 アーカイブ

2008年02月04日

わからない

鳩山さんが、異例の速いペースで死刑執行にGOサインを
出している、というニュースを見ながら、

ちょうど今、『死刑』(著:森達也)を読んでいるのもあって、
「死刑制度は、賛成?反対?」と弟に聞いてみた。

弟は、しばらく唸ってから、

「おれは、被害者の遺族になっていないから、わからない。」と答えた。

そうだな、と思った。
まだ、本を途中までしか読んでいないというのもあるし、
弟が言うのも間違いないと思って、やっぱり私も結論が出ない。

ただ、うっすらと、冤罪の可能性を考えながら廃止すべきと思ってる。
そういうベクトルをもって、本を読むし、ニュースを見ていることは自覚している。
(読後の感想は、後日に。)しかし、今は、わからない。

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世の中は、わからないことだらけだ。

物事の一側面を見て、決め付けて、切り捨てていないか。
そう自問する姿勢を忘れてはいけないなって思うことがある。

身近な人間関係もそう。

この人は、こういう人だから。
ともすると、やりがちな決め付け。こういうの、やめようと思う。
特に悪い面に着目することを避けよう。
そこから人間関係を終わらせることは、あまりに安易過ぎる。

『死刑』を読んでいても思う。
人は全然一貫してない。矛盾だらけの生き物だ。
というか、それこそが人間、なのかもしれない。

本の帯には、こう書かれていた。

人は人を殺せる。 でも人は、人を 救いたいとも思う。

『孤独と不安のレッスン』(著:鴻上尚史)には、こうあった。

人間は分かり合えない存在です。
すべての結婚は、じつは国際結婚と同じなのです。交際もそうです。

「分かり合えない」という前提を持つことが大切、と。
あなたのこと、全然わからない。だから知りたいの、と思うこと。
そうやって『他者』と付き合っていくこと。

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さて、なぜこんなことを考えたのか。
まったく関係ないことからだった。

今日、たまたま谷川俊太郎の詩に出会って、
その温かさに身震いしたから。

彼の翻訳した本を小学生の頃だったかに読んで、
そんなに心が揺れなかったので、
「この人は、そんなに好きでない」と決め付けていた
ということに気がついたから。

なんてもったいないことをしたんだろうって思ったのだ。

しぬまえにおじいさんのいったこと(谷川俊太郎)

わたしは かじりかけのりんごをのこして しんでゆく

いいのこすことは なにもない
よいことは つづくだろうし
わるいことは なくならぬだろうから
わたしには くちずさむうたがあったから さびかかった かなづちもあったから
いうことなしだ

わたしの いちばんすきなひとに
つたえておくれ
わたしは むかしあなたをすきになって
いまも すきだと
あのよで つむことのできる
いちばんきれいな はなを
あなたに ささげると

ひとたび、この人は私に合わないからって判断をしてしまうと
それ以降、その人を知ろうとする努力をしない。

『他者』でなく、『他人』にする。(『孤独と不安のレッスン』より)
とんでもなく素晴らしい側面を持っているかもしれないのに。

「わからない」を前提に、人が絶対に持つ温かさを知るために、
私は、あなたと向き合っていきたい。

女の、反駁のための覚書

「女遊び」について思うまま、メモ。分からないことの一つ。

男性同士の会話の中で、「いや、遊びだから」という、
女性との関係を表すフレーズがある。

一般に、「女遊び」という言葉がある。
しかし「男遊び」とはあまり聞かない。
ためしに、goo辞書で引いてみたが、やっぱりそうだった。

女性同士の会話でも、
少なくとも私の知りうる関係の中で、
「遊びだから」は、ない。

もしかすると、多くの場合遊ばれている女性の方は、
その自覚がないのかもしれない。
情報の非対称性の、なんともアンフェアなること。

教えて!gooで
「彼氏の女遊びがとまりません」という相談者に対して、
下記のように答える人がいた。女遊びと浮気は違うらしい。

女遊びとはいいませんね、この場合浮気性というのが正しいでしょう。

女遊びというのはうなるほどのお金と男としての魅力を持ってお金でどうにでもなってくれる女性と文字どうり遊びで付き合うことをいいます。その過程でマナーとしても起きた事に責任も全てお金を支払い、後くされを残さず女にも恨まれないように別れることが出来る甲斐性のある人がすることです。

浮気より女遊びの方が、フェアなのかも。

しかし職業柄そうでない女性が、そんなに簡単に割り切れるものか、と
大杉栄と神近市子の一件を思い出し、やはり思う。

自由恋愛主義を公然と掲げ、あれこれ女性関係を持ちまくった大杉栄。
その主張を「理解していた」前提で付き合っていたはずの神近は、
ある晩、刃渡り5寸の短刀で大杉の頸部を刺している。

あぁ、おそろし。
いや、ここではその行為そのものよりも、
そうさせてしまうほどの、本人の悲しみを知るべきだろう。


『なぜ、男は「女はバカ」と思ってしまうのか』
では、

基本的に女の人が見知らぬ男の人に触れることは、
まるでゴキブリに触るように気持ちの悪いことらしく、
女性の方が別の男性と浮気をしているとなると、もうそれは
男性の場合のそれと比べてかなり二人の関係として絶望的だという
ことがかかれていた。

もしそれが正しいなら、
浮気と分かっていながら関係する女性の、
その男性に対する思いも真剣なんではないの。

それが遊びとわかったら、と想像すると胸が痛い。
人によってはそりゃ、刺すほどの憎悪になるんだろうとも思う。

ふと、以前お付き合いした人が、
占い師の人に「いろんな女性の念を背負ってます」って言われたと
私に言ってきたのを思い出した。

こわい、、こわいよーと思いつつも、
その女性の思いを重ねて、つぶれるような気持ちになった。

「遊び」と一方で割り切っていても、
本人が自覚し得ないところで、激しく傷つく人がいて、
もしかして誰かの悲しみの念を背負っているのだとしたら、恐ろしい。

お金で全てが済むなら、そっちがよろしい。

『欲望する脳』(著:茂木健一郎)の一文に下記のようなのがあった気がする。


唯一倫理観のみが、人間を規定する。

そして、今読んでいる『死刑』(著:森達也)の中の一文。

「・・・彼は、人の悲しみを共有できる想像力を持っていたと考えられますか」

学校の倫理の授業は、そういうことの大切さを教えてくれたんだと思う。
人の悲しみを共有する想像力を持つこと。

やっぱりわからない異性のこと、という人間世界における
この普遍の壁を、感情と想像力を持って越えてみる試みを。

2008年02月10日

せめて、メディアを疑う

アニメで『デスノート』を少しだけ見た。巷で沸いているようだ。
名前を書くと、書かれた人は必ず死ぬノートがあるらしい。

悪いやつはこの世からいなくなればいい、という発想から、
「テレビで放映された犯罪容疑者」が次々に殺されるという事実に
何名かが気がつき、騒然とするというシーンを見た。

また、そのノートのルールの実効性を確認するために、
死刑確定囚の名を試しに書いてみよう、という提案もあった。

戦慄した。

まず、「テレビで容疑者として放映された人」=「真犯人」という
図式が当たり前のように成り立ってはいないか?

また、死刑確定囚ならば殺しても良いのか。

この二つの発想のどこにも、「冤罪」の可能性が潜んでいない。
あまりにも当たり前だったので、うっかり聞き逃すところだった。

--------------

日本のメディアは、そのわかりやすさのせいか、
一般受けの良さのせいか、殺人事件をよく取り上げるらしい。

ワイドショーとか見ていても、「容疑者」がいかに
悪いやつになりえる背景を持っていたかか、ということが
印象付けられるように描かれている。

もちろん稀に、メディアによる独自調査によって、
検察の見過ごしていた視点を与えることもあったろう。
しかし多くの場合、視聴者を勧善懲悪の二項対立の一方に
引き込むようなセンセーショナルな表現を使っていないだろうか。

--------------
「自白を強要させられました。」

裁判中の被告人の発言でよく聞く言葉でしょ、これ。

日本の検察官世界の出世システムとか
いろんな個々人の利己的な意図が絡み合うと
誰も見ていない場所で、「濡れ衣を着せられる」傾向がある。

そういう忌まわしい慣習が、全然きれいになっていないのが今の日本。


「・・・警察で西君は逆さまに吊るされて、水が入ったバケツの中に頭から入れられて」
「取調べのときですか」
「そうです」
「石井さんは?」
「私は足の下に棒ば五本も六本も入れられて刑事たちに踏まれました。痛かですよ。」

上記は「今」ではないが、
「自白を強要されるほど」の取調べなんだから、
それは本人にとってはひどいものだろうと想像ができる。

ふと、名古屋刑務所事件を思い出す。
どんな背景を持つにせよ、人を人として扱え。

-----------

死刑は、世論が不安でいっぱいになったときに、
背中を押されるように執行される。法律が変わって厳罰化する。

オウム真理教事件の突発を契機として世の中には 死刑廃止論は冬の時代になったというような声が広がってきて、 法務局もさっそく死刑の執行を持ってこれに呼応した。
だって、みんなが望んでいるから。

世論は多くの場合、メディアが先導する。扇動する。
メディアは、「現実を編集して」放映していることを忘れてはいけないなと思う。

死刑判決を言い渡されて、何度も再審を要求して、
晴れて濡れ衣であったことを証明して出所したある人は、
すでに32年の時が過ぎていて、出所した後も社会的偏見により、
親族にさえ受け入れてもらえなかった。

そして彼の娘は、「穢れ」として幼い命を奪われていた。

メディアは大切なことを放映していないし、
必ずしも真実を報道していない。

そして、メディアによってつけられたイメージは根強く、
人々の差別意識に影響してしまうと、私は思う。

--------------

何かを一方的に攻撃するような気配を感じたら、
同調する前に、一度、この人の言っていることは本当かと、
疑う心を持っていて欲しい。

難しい?

では、こう想像してみるのがいいと思う。

ニュースでみた「容疑者」が、あなたの愛する家族だったら?
恋人だったら?大切な友人だったら?

無実だとわかっているのに、検察は
無理やりな言いがかりをつけて証拠物品を上げている。

そして「本人が自白したため立件逮捕されました」という
アナウンサーの淡々とした言葉と共に、
愛する人が顔を隠され、体格のいい男につれていかれる。

自白が力によって強制されている可能性があるのに
テレビではすっかり悪者扱いをされている。

その人の一生を、本当に台無しにしてしまう冤罪の恐ろしさを、
もう少し身に引き寄せてイメージするということを、
死刑制度を支持するのであれば、やってみてもらいたい。

-------------

2008年02月11日

人は変われると信じたい

森達也氏の『死刑』を読了。

前半の快調な「死刑廃止論」調にノリノリになっていた私も、
後半の被害者遺族の声を読み、たじろぐ。

そこはやはり、想像するに限界があるからだ。

悲しみや憤りは感じても、人を殺めたいほどの憎悪を
生きてきた中で抱くことがなかったからだろう。

もう少し、存置論者の本を読もうと思う。
自分の意見を最終決定する前に。
(↑不断に考え続けるテーマとなるだろうが)

ただ思考の変化を知る上でも、メモ的に、今の意見を。

人は変われるという、その可能性を信じていたい。
もちろんそのための十分な制度が不可欠であるが。

ディベートの一般的な言い回しの一つに、
they just assume past, never assume future.
とある。

こういう言葉もある。
「加害者は、被害者である。」

姑を殺してしまった嫁が「容疑者」として逮捕されたニュースを見て、
母は、「殺してしまうほどなんて、相当辛かったのかもしれないわね。」と言った。
殺人を犯した者を同情していた。
もちろん、だからといって人を殺しちゃだめなんだけど。

でもどこかで人は、誰でも犯罪者になる素質を持っていると私は思っている。
ポル・ポトを内包する私達

根っからの犯罪者もいるかもしれないけれど、そうじゃない場合も多いのでは。
事実、改悛した死刑囚が、確かに存在する。

ところで、ジェノサイドを経験したルワンダが、先日死刑制度の廃止を決定した。

それを取り上げたあるニュース番組の中で、
娘と夫を小学校の頃の同級生に斧で殺された女性と、
その殺した犯人が手を握り合ってインタビューに応じている姿が
映し出されていた。

やってしまった方は、被害者遺族である彼女の悲しみを
直接に聞き、激しく反省し、その反省の様子をよくみた彼女がついに、
彼を赦したというのである。

また、死刑制度の反対を訴える被害者遺族もいる。
彼もまた、犯罪者の真摯な反省の態度から心を変化させている。

一部だ。一部だけれど、犯罪者は改悛し、
被害者遺族は憎悪から開放される可能性が証明されたということだ。

全体にとっては一部だけれど、その人や残された家族にとってはすべてなのだ。

もうあとは、読んで想像して、何かを感じてください。

「奥さんは彼の手を握ったまま声がでない。泣いてばかりでずっとしゃべれないんです。彼は奥さんに対して、『悲しまんでほしい。この世の中生きていても辛いことが多い。ただ後先があるだけで先に逝くだけだから、どうぞ悲しまないでほしい』、そんなことを言ってましたね。面会が終わって立ち上がった奥さんが最後に一言だけ、『息子があなたの顔にだんだん似てきた』って。・・・それだけ搾り出すように言ったのを覚えている。」
でもその人たち(改悛した死刑囚)は確かにいた。罪を償うのだと訴訟を打ち切り、処刑の前日に妻を励まし、教誨師と抱き合い、おまえも頑張れと残された死刑囚の尻を叩き、刑務官たちと握手を交わし、にこにこと笑いながら、殺した被害者の遺族に謝罪の言葉を残しながら、彼らは処刑台に向かい、そして吊るされた。確かに一部かもしれない。でも一部だからと見過ごすことは僕にはできない。絶対に出来ない。全体にとっては一部だけれど、その人や残された家族にとってはすべてなのだ。
「舎内では普通に歩いていくけれど、問題は刑場に入ってからです。・・・あとで刑務間に聞いたら、最後まで自力で歩いた人はほとんどいないようです。刑場に入ってお茶菓子を食べて、時計を見ながら『さあ』っていわれたそのときに足腰が立たなくなる。そのまま動けなくなってしまう人もおるらしい。そういうときは刑務官が両脇を抱えて吊るすようです。場合によっては座り込んで動かんようになってしまって、刑務官たちがお尻をける場合もあるらしい」
「ダーンって床が落ちる音がします。・・・しばらく控え室で待っていたら、ひとりの刑務官が『あいつは天国に行きましたか』って聞いてきて、『悔い改めさえすればみんな天国にいけるんだよ』と答えたら、本当にホッとしたような顔をしたことを覚えています。」
「一人の刑務官が私のそばに来て、『先生(教誨師)はあいつを抱きしめてくれた。我々にはそれはできない。でもここにいる全員が、できることならそうしたいと思っていました』と言ってくれました。」

チョコを選べば、世界が変わる

もうすぐバレンタインデーなので、チョコ需要も上昇。
製菓業界も安いチョコを大量に売り出していますね。

これから作ろうと思っている人、
買おうと思っている人、まずはチョコレボについて知ってください。

フェアトレードチョコについて知ることは、すなわち、
安いチョコの裏側についても知ることになります。

消費者主権という風潮が強まる中、
将来の環境も命も、消費者の「選択」一つで、
変えられる可能性があるのです。

まずは、現状を知ってください。↓
http://www.choco-revo.net/know.php

安さの裏側には、どこかに無理がある。
環境や、人の命や。

------------------

今、このアクションの一環で、
ミニストップや高島屋の一部でフェアトレードチョコが
販売されます。

チョコレボを企画したFTSN(フェアトレード学生ネットワーク)時代の友人は、
上記のような、いわゆる一般流通に今後も乗せてもらえるかどうかは、
今、この販売時期における結果次第と言っています。

というのも、販売している側の内部では、フェアトレードを
販売することの賛否が分かれているからだそうです。
つまり、今回のキャンペーンはある種のマーケティング。
どれくらい売れるの?、といった試みです。

否定的に捉えられる理由はいくつか考えられます。

他のチョコよりも仕入れにコストがかかるわりに、
どれほどの需要があるのかわからない。

あるいは、当初様々な大手デパートが有機野菜を置きたがらなかった理由みたいに、あるものを差別化してそれを「良い」ということで、元もとあったチョコレートが相対として「悪く」評されるリスクがあるからかも。

もしお財布に余裕があったら、ぜひ試してみてください。
そのチョコレートの向こう側に、子どもたちの笑顔を想像しながら。

------------------

小学生や中学生の頃、
地理で習いました。

「カカオの原産国は?」
「紅茶は?」
「日本はどこから一番輸入していますか?」

表面的に日本とのつながりを学びました。
でも、実際、その国で起きてることは習いませんでした。

市場にアクセスできない貧困地域の農家。
安く仕入れて高く売りたい商社。

立場の弱い貧困国の人々は、
ひどい労働環境に身をおいて、朝から晩まで重労働。

時に生産コストさえ賄えないことも。
生きていくのが、やっと。

生産のための人手として、貧困国で売られた子どもが使われます。

大量生産のために森林を切り開き、
生物多様性を著しく損なう単一栽培で、大量の農薬をまき、
その過程で、農薬の危険性を知らずにそれに触れたり
誤飲によって死ぬ者も。

農薬による水質汚染で、地場産業である漁業が
たちゆかなくなったり。

こうした、非人道的で環境破壊的な遠くの世界を、
知らず知らずに下支えしているのは、豊かな先進国の私達消費者。

安い紅茶やコーヒーやチョコ。
「安い」理由は、必ずあります。

どこかで歪みが生じている。

上記チョコレボでは、現状のそうした負の部分を明るみに出して批判するような、
ラディカルなことはしていません。
でも実際、裏を返せばそういうことになります。

店頭に並んでいる商品の、
生い立ちをイメージすること、知ろうとすること。

そこから、あなたの財布が如何に
世界を変えるパワーを持つかということに気がつくと思う。

消費が変われば、世界が変わる。

------------
フェアトレードチョコのかえるとこ
http://www.choco-revo.net/buy.php

ミニストップ12店舗
若林4丁目店、荏原6丁目店、池上6丁目店、大鳥居駅前店、
中野若宮店、中野駅北口店、杉並成田西店、高円寺南2丁目店、
上井草店、都立大店、西蒲田店、西蒲田4丁目店

高島屋
高島屋東京店、新宿店、横浜店、柏店、岐阜店、
大阪店、京都店、JR名古屋高島屋、いよてつ高島屋(松山)

2008年02月17日

幸せに生きるように出来ている

「姉ちゃんは、幸せに生きるようにできてる」

ダンボールに「てづくり」って書いてある!と笑う私に、
弟が言いました。

自覚してなかったけど、
考えてみれば、心の中は比較的いつも穏やかです。

これって「年をとれば丸くなる」の丸くなった証拠かしら。
年を、とったのかしら。まぁ、こうしている間にも刻一刻ととってますけれど。

めったにイライラすることはないけれど、
ずっと前からそうだったわけじゃなくて、
思春期の頃なんか、何もかも煩わしくて、よく弟と喧嘩してました。

顔を合わせるたびに喧嘩をしていたので、
なんでこんなにぶつかるんだろうって考えて、
ある時、自分がいけないんじゃないかと試しに思ってみたのでした。

そこで、弟の話を聞いて、少し優しい言葉をかけてみました。
するとなんと!

弟がとても優しくなったのです、私に。
うるうる(涙

そうか、弟がイライラしていたのは、私がイライラしていたからなのか!
そう気付いたのです。

まるで鏡のように、私が変わると弟が変わったのでした。

そこで気がつきました。
人を責める前に、まず、自分が変わったらいいのかもしれない。

今でも時折イライラしそうになることがありますけれど、
そういうときはこう思います。

イライラするのは、自分の思うとおりにいかないから
誰かを責めようとしている。
でも、その責めようとしている相手の悪い部分を、
本当に私は完全に持っていないのだろうか。
いや、持っているなと反省・・・。
こう考えたとき、たいていイライラはおさまっています。
(もちろん、抑えられないときもあるけど)

桐谷社長の経営塾で習ったのを思い出しました。

人は簡単に変わらない。だから、自分が変わっていく。

これって、「いけてるビジネスマンのコツ」(経営塾の目的)でもあるけれど、
「比較的幸せに生きるコツ」でもあるのかもしれない。

チョコレボ実行委員会の一員に!?

前々回のポスト、「チョコを選べば、世界が変わる」のチョコレボ実行委員会に
今後、私も何らかの形で加えてもらえそうな兆し。

聞けば、その委員会には、各界のプロフェッショナルが集結しているよう。
私に何が出来るのか定かではないけれど、やってみます。

新しく色々な人に出会えること、
生産者のハッピーにも将来の環境保全にも貢献できること、
大学院で決意した「消費を環境保全的に変えること」の夢に
近づいていること。

とても幸せで、とてもワクワクします。
一度きりの人生だもの、より濃密に彩り豊かに。

以下、チョコレボについて。しつこい?
でも前回ポストの文章よりもわかりやすいからさ。

~ チョコにはビターな現実があります。 ~

甘くておいしいチョコの原料、カカオ。

日本に入ってきているカカオのほとんどは、西アフリカの国ぐにから来ています。その西アフリカのカカオ農園をのぞいてみると、学校にも行けず、カカオがチョコになることも知らずに、1日中働いている子どもたちの姿が見えてきます。その数25万人以上。農薬に触れたり、高い木の上での危険な作業をしたりする子どもたちもいます。近くの国から売られてきて、家に帰ることのできない子どもたちもいます。

また多くのカカオは森林を伐採してつくられた大農場で栽培されています。環境への負荷も、無視できない問題の1つになっています。

~ その現実を変えるのは、一人ひとりのメッセージ。 ~

この西アフリカを中心としたカカオ農園の状況を変えていくために。チョコに携わる人とチョコを楽しむ私たち、みんながハッピーになるために。私たち一人ひとりが、「もっと人と地球にやさしいチョコが欲しい」という想いを表現することが大切になります。

それは決して難しいことではありません。すでに日本でも登場し始めている、生産者や環境に配慮してつくられた「人と地球にやさしいチョコ」を意識して選ぶこと。「人と地球にやさしいチョコ」をみんなに広めていくこと。それもひとつのメッセージになります。

一人ひとりのメッセージが、チョコに携わる人々を動かし、「人と地球にやさしいチョコ」が増え、誰でもどこでも、もっと気軽に買えるようになる。

原料のカカオをつくる人、チョコをつくる人や売る人、チョコを楽しむ私たち、みんながハッピーになる。チョコレボはそんな変化をつくるキャンペーンです。

http://www.choco-revo.net/about.php

2008年02月24日

笑い飛ばす余裕

20代後半女には、「いい男とは?」というのっぴきならない、
酒の肴にも永遠のテーマにもなる問いが横たわっている。

日常生活の中で、
「それはカッコイイわね」と思う瞬間に付箋をつけていたら
なんとなく一貫するものが見えてきた。

悲しんだり怒ったり、慌てふためいたりするべきところを、
笑い飛ばしてしまう余裕がある、ということだ。

「笑い飛ばす」とはよく出来た表現で、
嘆くべき原因が、その笑いによって、すっかり空の向こう側である。

これは、私たちの社長もやる。するとなんだかこっちも笑ってしまう。
そして笑い終わった時には、すっかり晴れ晴れとした気になる。

同僚の守谷さんの生き様もこれまたかっこいい。
彼女は、一般的に考えたらマイナス要因となるものを、
まるでオセロの黒をくるくると白にひっくりかえすように、
実に見事にプラスに転換してしまうのだ。
近くにいる私は、いつもそのおかげで前向きに仕事が出来ている。

彼女の座右の銘はずばり、
「泣きたい時は、笑え」である。

そういえば、私の上司(女性)もやっている。
確かに、とってもカッコイイ。
おやおかしい。社長以外、二人とも女性だ。

■自を超えて、他と同化する竜馬

『竜馬がゆく』(文春文庫1巻 司馬遼太郎)

(金が必要で辻斬りに試みるが、
竜馬が相手であったために失敗した以蔵に、
竜馬は持ち金の半分を渡してやっていた。)


「しかし旦那、あんたはだまされたね。
・・・だが、路用がなくなってやむなく辻斬りをしたというのは、あれは下手なうそだ」
「ほう」
「・・・そこの娼妓でひなづる。その女の下で流連して路用をつかいはたしたはずなんだ。・・・だから、旦那にもらった金で、いまごろは豪勢に風呂酒をあそんでるだろう」
「ほんとうか」
「うそじゃねえ」
「以蔵め、そいつは面白かったろうな」

以蔵の身になって笑い出した。・・・妙な性分である。腹が立つよりも自分までが風呂酒を飲んで陽気にさわいでいるような気分になってくる。

■おじいちゃんの、ゆったりとしたゆとり。

『草枕』(夏目漱石)


「鳩程可愛いものはない、わしが、手をたたくと、みな飛んでくる。呼んで見よか。」
月は愈明るい。しんしんとして、木蓮は幾朶の雲華を空裏に擎げている。
泬寥たる春夜の真中に、和尚ははたと掌を拍つ。声は風中に死して一羽の鳩も下りぬ。
「下りんかいな。下りそうなものじゃが」
了念は余の顔を見て、一寸笑った。

小学校の時、友達にからかわれてウジウジしていた私に、
「うけた、ラッキーと思って笑っちゃえばいいのよ」と母は言った。

笑い飛ばす、というのは一つの強さなのだろう。

iddy登録してみました。

このブログの見た目をなんとかしたほうがいいよ、と
クリエイターの方々を中心に度々ご注意を頂き、
平澤さんには、「まずは行間をなんとかしなさい」と言われて、
もちろん私自身ではなんとかできないので、やってもらいました。
少し広がって、見やすくなりましたでしょ?
その分縦長になったんですけど。

また、「プロフィールを載せたほうがいい」ともアドバイスもらいました。
「iddyは?」といわれて、「え?いやだってこれ以外特に目立ったことしてないし、ウェブ活動。」
とかいってたら、怒られました申し訳ありません。

それで、今更ながら登録してみました、iddy

http://iddy.jp/profile/kapukapu_peace0124/

すると、やっぱり右側がとてつもなく寂しくなったので、
好きな本を集めてamazonリストマニア?というのを始めてみました。

本が大好きなので、
本が並んでるだけで、私が個人的にとても嬉しいです。
もっと並んでてほしいくらい。
これからも、読んだ本をどんどん増やしていこうと思います。

mixiに最近観るようになった映画のレビューも書き始めたけれど、
そういうレビューも表示されたらいいのになー。

それにしても、
去年まで新聞とラジオで暮らしてたなんてとても信じられません。
twitterもtumblrもデジパに入社してなかったら、
一生無縁だったかもしれないもの。
まったく驚きの成長ぶり。
これも一重にみなさまのご助力のおかげです。
ありがとうございます。

とはいえまだまだ「デジタル」のすごさに狼狽するアナログな私。
(skypeでも大騒ぎで、これまた平澤さんに助けてもらいました)
これからも、よろしくお願いします。

ちなみに私、デジパの社員ですけれど、事務職です。
(言い訳)


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