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2008年01月 アーカイブ

2008年01月01日

未来は明るいですか?

未来とは、予測するものではなく自分で創るものですから、 明るいと思うべきだと考えます。脳の無限の学習の可能性を 信じることが大事。われわれの祖先は明治維新であれだけの大事業を やったわけですから、それに比べたら今の方が条件はいいと思いますよ。

朝日新聞で発見した脳科学者、茂木先生の一言。

いい、いいですねー。

未来は明るく創っていくもの。
そういえば、「明日」って「明るい日」とも読めますね。

だから新年のご挨拶は、
「あけまして、おめでとうございます。今年もいい年にしましょう!」
です。

一人ひとりの心がけで、明るい未来は作っていけるという、
この希望が、どんな大変な問題にも立ち向かっていける底力になるのだと思います。

知を重ねていく、その延長線上のどこかで、
自分自身の行動を変えられるかもしれないという淡い
期待を抱きつつ、今年も積極的に「知る」に貪欲に
生きていこうと思います。

知るとは変わること

今年もよろしくお願いします。

2008年01月03日

殻をやぶるヒント

芸術は爆発だ、の岡本太郎氏。
彼のエッセイが集められた
『人間は瞬間瞬間に、いのちを捨てるために生きている』を読了。

さっぱりとしたお酒を、
ぐいぐい飲んでしまって、
あとから体の芯から熱くなっていく読後感。

岡本太郎という人の生き様が見えてきます。
前半は彼の両親に対することなので、
それなりに考えも深く、一定のまとまりもあり、
ふむふむと読ませるのですが、

後半はもうなんだか、
女のこと、酒のこと、食べること、
感じたままが半分無意識のように書き散らされている。

これがとんでもなく面白い。
読みながらもアタマが働かない間に、
岡本氏の感じたままが強烈に読者の脳裏に焼き付けられるのだ。
(読みたい方、お貸しします。)

人の生き様は、
特に彼のようなエネルギーの塊のような人が語る人生は、
私のように日陰でボソボソ生きているような人間に対して、
きわめて有効な生きるヒントとなる。

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エッセイの中の一つ、「作曲のよろこび」から。

テレビの「題名のない音楽会」から、作曲を提案された岡本氏。

私はあらゆることにぶつかり、問題をひろげたいと常に思っている。 全人間的であるためには、うまかろうがまずかろうが、何でもやるべきだ。 やらなければ本当の人間としての責任が持てない。

そうして、音楽に対する反感を、問題意識として自らの音で提起しようと試みた。

音楽、いや音こそあんな虚飾ではなく、ダイレクトに、痛切に、 自他のナマな骨身に対決しなければならないものであるはずだ。 あんな媚びたような、妥協的なものではなく。

絶対にいわゆる音楽にはならないうなり方を、
オーケストラに編曲、実演。
万雷の拍手が会場に沸いたという。
この経験を踏まえた彼の言葉。

人間的創造は、その(専門家という)わくにこだわらない、それを突き抜ける 平気なシロウトこそがひらくのである。

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「枠を突き抜ける平気な素人」
「うまかろうがまずかろうが、何でもやるべきだ」

理論的な根拠はないのに、
ガーンと一殴りされたような説得力がありました。

自分の範疇ではない=「まずい」と認識するや否や、
とにかく拒否反応を示していたような自分を
見事に指摘された気がしたのです。

自身の可能性を狭める枠は、自分よく見せたいと思う、
そういうイヤらしい根性によって作られているのかもしれない。

2008年01月06日

国境は関係ないって

今日は、セネガル人の知り合いとお茶をした。

1年くらい前に、カフェで隣から話しかけられて、
「きみ面白いから、こんな風にたまに会ってお茶したいんだ」
と英語で言って、電話番号とe-mailを置いていった。

私の連絡先は聞かないし、笑顔がとてもよい人だったんで
連絡とってみたのだ。

彼は、フランス大使館で働く両親の元で、
フランス語とセネガル語を使って幼少期を過ごし、
イタリアの大学で学び、今、日産のエンジニアとして
働いている。

4人兄弟の2番目で、
兄はビジネスマン、弟はエイズ関連の医者、
妹はスタイリストという、とかく裕福そうな家庭で育っている。

私の夢の話になり、
平和についてお互いに語ることになった。

平和は全ての基礎だ。
平和がなければ、健康もありえない。
安全もありえない、幸せもありえないんだ。
グランドでサッカーもできないんだよ!
子どもたちはイノセントなのに!

平和は僕の信念なんだと心をこめて語る彼の
メールアドレスには、peaceという言葉が入っている。

様々な国をまたいで
学んだり働いたりしている彼は、実感を込めてこういった。

子どもたちは国が異なってもすぐに仲良くなる。
けんかしてもすぐに仲直りできるんだ。

大人は違う、あれこれ疑ってしまう。
けんかしたら、元には戻らないで、離れ離れになってしまう。

「子どもたちこそ、平和そのものね。」という私に彼は
その日一番の「that's right」をくれた。

肌の色も、育った文化もまるで違うのに、
同じ地球規模の問題意識を共有できているという点で
とても心が熱くなった。

相手がどう感じているかを分からなければならない、とか、
礼を尽くさなければならないとか、両親を尊敬するべきとか、
相手を利用しようとするコミュニケーションは本物ではないとか、
セネガルも、イタリアもフランスも、中国も日本も、どこにでも
いい心の持ち主と、悪い心の持ち主がいるんだとか、
話の端々で見えてくる人間としてのありように、
「人間、国境って本当に関係ないんだな」って思えた。

それはもうちょっと言うと、言語の差も関係なくて、
まさに、彼が何度も念を押す、

communication is more important

ということになるんだろうな。

久々に、子どもの権利条約を読み直そうと思った。

PEACE!

異質を排除しない

池袋西武の書店、リブロには絵本コーナーがある。
その前のスペースで今日は、紙芝居が行われていた。

前のじゅうたんには、子どもたちが
座り込んで無我夢中になっている。

その珍しい光景に、通り過ぎる大人は皆
足を止めて、食い入るように見ていた。

途中、みんなに配られた新聞の切抜きには
こんな風なことが書かれていた。
絵本の読み聞かせと違って、紙芝居って
全然メルヘンじゃなかったらしい。


禍々しい悪役像、陰惨ないじめや
流血場面に満ちた紙芝居は、確かに
教育者の童心主義と対立したであろう。
こうした「俗悪文化」の悪影響から子どもを
守るため、1949年以降各地で紙芝居業者
条約が制定されていく。

そして、社会から「害」として排除されていったそうだ。
しかし、「子どもたちは「下積みの大人」から人生の苦労と喜びを
肌身で感じて成長したはずである」。

ふと、今読んでいる本『脳と日本人』(松岡正剛と茂木健一郎の対談本)
の一節を思い出した。

松岡氏がまず、いじめられる者が自殺に追い込まれることを例に挙げ、
今の日本の社会的逸脱者を絶対に許さない、という
アノマリー(異質の例外性)を排除してしまう傾向にあることを指摘し、

それを受けて茂木氏が、現代人は「足腰が弱い」「堪え性がない」と
表現する。

自分が異質に感じるものを排除する傾向は、
そうした人間関係にのみ現れるものではなく、
実は、道具にもあると。

鉛筆を削る
ガスコンロをマッチでつける
筆を使う
カメラのピントと露出を合わせる

こうした行為が、
道具の進化によって必要なくなっている事態は、
例えば「携帯電話と自分の手の指の相互作用の軌跡には、
ほんとうは無限の可能性がある」はずなのに、
その可能性をみすみす潰しているということになる。

不便であるということは、
目的遂行に対して非効率であるけれども、
いわゆる人間の無限のアフォーダンス(行為の可能性)
を無限に広げる可能性があるということである。

理想を「善」とすると、それを阻むものが「悪」となり、
目的を「善」とすると、不便が「悪」となる。
こうした二項対立した概念に拠って立つと、
たちどころに「悪」は排除される。
これが、現代人の足腰を弱める原因となる。

子どもの教育ばかりでない。
大人もまた人として生まれ、
その固有の可能性を、
「異質性」を排除することによって狭めていないだろうか。

日々の生活の中にわずかにでも
ハードルを設けてみること。

私たちの「知覚に急角度で切り込んでくる」という、
私たちの「クオリアやアフォーダンスの体験」に
対応できる感覚を持つために、
身体感覚を冴え渡らせる努力をしてみよう。

2008年01月14日

コインを長方形と見る視座を

メディアが、私たちが住んでいる世界がどんなかを
それぞれの手段をもって、様々な「編集」をして
伝えてくれる。

現実が、制作者の「意図」の下で切り貼りされて、
私たちの前に現れる。

特にテレビは、時間が限られているから
その「切り貼り」ぷりは甚だしいものと考えるべきだろう。

しかし現実は、そんなにきれいに単線で、
うつくしくまとまっているものでもないだろう。

複雑をきわめて実に見通しが悪いはずなのだ。

去年の4月からテレビのある生活環境に戻り、
インターネットニュースを読み始めたけれど、
物足りなくなって新聞の定期購読を再開した。

新聞は、あやしいけれど面白い。
現実問題の本来の複雑さに触れるきっかけとなる。

NEWS ZEROというニュース番組を見て、
これが報道番組なのかと驚愕した。

見るに耐えかねて、すぐにチャンネルを変えた。
ざらざらしているはずの現実がつるりとまとまって、
コメントが隣近所のおじさんのつぶやきのように思えたのだ。

あれを多くの人が鵜呑みにして、
あれだけで現実を見ていると思い込んでいたらと
考えるとゾッとする。

情報発信者は、少々視聴者を馬鹿にしてはいないかと、
腹立たしささえ感じられる。もう少し視聴者の思考を促して欲しい。

私達情報受信者は、様々な情報に触れて、
「考え続ける」ことが大切なんだと思う。

コインが、円にも長方形にも見えるように、
見方一つで現実は様々に映って見える。
こういう考え方もあるし、そういう考え方もあるね、と受容して、
知識を体系的に重ねて、立体的に物事を捉える視座をもてるように、
溢れる情報と付き合っていきたいと思う。

2008年01月15日

ポル・ポトを内包する私達

今日もまた、AKIRAのブログから。
やっぱり彼の言葉は、パンチが効いていて、いい。

ベトナムの後、カンボジアに移動した彼は、
ポル・ポトによる大虐殺が行われた
「キリング・フィールド」から私達に語りかけます。

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「この悲劇をくりかえしてはならない」などと平和運動の人々は言う。

とまれ。
この悲劇はオレたちの日常で今もくりかえされているではないか。
たとえば中学や高校ではクラスに独裁者とまではいかなくても発言権の強いやつがいただろう。そいつに迎合するため、誰かの悪口を言ったことはないかい? 誰かをチクったことはないかい? 誰かを仲間はずれにしたことはないかい? 誰かを見下したことはないかい?
職場でいやなやつはいないかい? 自分に反対するやつを消えてくれればいいと思ったことはないかい? 自分が人事課長になったら移動させたいやつはいないかい? もし憎いやつを処罰できる権力をきみがもっていたら?

この延長線上でポル・ポトはきみを待っている。
平和な日常のなかで、誰でもポル・ポトになれるし、なっているんだ。
それは自分とちがうものを軽蔑し、排斥すること。
単一のものさしで人を判断することだ。
日本もまた狂気のなかにいることに気づいてほしい。
オレたちは知らず知らずのうちに国やマスコミが操る情報に汚染されている。

環境とかタイミングとか、ほんの少し何かがズレただけで
いくらでも犯罪者になれる素質を持っているんだよね、私たちは。

世の中の問題を勧善懲悪的な構造に落とし込んで、何かを責めようとしているとき、
自分がポル・ポトになってはいないかと、一度冷静になる必要がある。
アメリカがイラク戦争を始めたときみたいな、単純で分かりやすい構造。
単一の価値観に縛られていると危険。飲み込まれやすいから。

AKIRAは、一人旅を勧める。

さまざまな体験を積み、 多様な価値観を身につけ、 情報に左右されず、 一切の権威に従わず、 自らの足で歩き、 自分自身の知恵で考えることを身につけてほしい。 人や自らの魂を殺す「機械」にならないためにも。

私は、『家出のすすめ』
既存の価値観をぶっ飛ばされて、思考が自由になったあと、
『なぜ商品が急に売れるのか』の一実験による人間の一側面を見て、
『夜と霧』を思い出しつつ、映画「クラッシュ」を見て確信したのでした。

色々手段はあるけれど、ディタッチメントをもって、
自らの価値観を認識してみるという試みは、
他の価値観を理解し、受容するための第一歩となるだろう。

今回のAKIRAのブログは、他にも伝えたいことが
たくさんあるので、ぜひ読んでみてください。

New 天の邪鬼日記
キリング・フィールド


2008年01月20日

星のような物語


いちかわ星野道夫展

「星のような物語」行って来ました。

高い天井の、上のほうまで大きく展示された
写真の魅せる大自然の息吹に包まれて、
体の奥の方ががふるふると熱くなって、また、泣いてました。

食い入るように写真に近づいては離れる人も、
呆然と写真の前に腰を降ろす人もいました。

私はハンカチとティッシュを持って、
目を押さえて鼻をかみながら、
歩いているような歩いていないようなスピードで
あっちこっち、ふらふらしてました。

大自然の写真や映像を前に、
「そうだよね、そうなんだよね」とかいって、
(なにが、そうなのか。そうって何なのか言語化できません)
泣きながら「すみません、人間なんて」とかいう
気持ちになるのは、一体何事かと自分でも今のところ判然としません。

いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?

実際に、同じものを見てください。

だって、彼の作品の素晴らしささえ、
私の拙い言葉では何一つ伝えられないから。

生きる、のメモ

『欲望する脳』(著 茂木健一郎)より

そもそも、この世界で一つの可能性が実現するということは、 他の全ての可能性が死んでいくということを意味する。 生きるとは、つまりは時々刻々と無数の可能性が死んでいく 大量殺戮の場に身をさらすということである。 目には見えなくとも、私たちの生は大量の「サンゴの卵」を まき散らし、その一部分だけを着生させることを繰り返しているのだ。

映画「ニューシネマパラダイス」について。友人の一言より

「人は、選択しなかった過去を美化する。」 別の本でこの一行にあったんだ。 その時、ニューシネマパラダイスを思い出して、 なんだ、こんなことだったのかと思ったんだよ。 でもスリリングなのは、俺たちが若いってことなんだよ。 選択しなかった過去を、今、選択するチャンスがあるってこと。

『星のような物語』(著 星野道夫)

もし本当にやりたいことがあって、
少しでも可能性があるならば、とりあえず力いっぱい突っ込んでみたい。
もしはね返されたのなら、それはそれで何かを学ぶことができるはずだ。

『欲望する脳』(著 茂木健一郎)より再

一回性に向き合うことでしか、人々は生の充足感を得ることが出来ない。
その肝心の頼りは、しかし、予定も管理も出来ないやっかいな代物である。
一回性の本質を考え、それにどう向き合うべきかという倫理問題を考察することは、
生の躍動を輝かせるためにどうしても必要なことだろう。

『100万回生きた猫』(絵・文 佐野洋子)を読んで、私が思うこと。

100万回目の人生で初めて、全力で愛する人を得て、失って、悲しんだ。
100万回目にしてようやくちゃんと死ねたのは、ちゃんと生きることができたから。

『月間キング』コピー

可能性だけは腐るほどあるキミに。

どう生きる?

2008年01月27日

六本木ヒルズで贅沢

高校生のときに自ら図書館にこもってカンボジア問題を学び、
『地雷ではなく花をください』を読んで価値観がシフトしてから、
物欲というものがあまりなくて、
子どもが幸せそうにしているとか自然がキラキラ輝いているとか、
そういうことに価値を感じてきて、
いわゆる一般的な女の子たちがチヤホヤしている、
ブランド物やらショッピングやらに
ちっとも魅力を感じないで生きてきた。

でも、本だけは我慢できない。
衝動買いしてしまう唯一のモノ。

本が天井まである部屋は、もうほとんど夢のようで、
足元からワクワクして、自分でも表情が緩むのがわかるほど。

ずっとずっと夢見ていたメンバーに、ついになってしまいました。

もしかしたらギリギリ身分不相応かもしれないけれど、
すっかり20代後半も板についたころなので、勢いで。

アカデミーヒルズ
六本木ライブラリー コミュニティメンバー

素敵な夜景を見下ろしながら、
ゆったりとソファーに身を沈めて、
心ゆくまで読書。

著名人の本棚からは、その人の価値観や
生き様を発見できるし、その人の残した線をみて、
私も立ち止まって、その一文を深く読んでみたりする。

学習する快感を味わえる知的空間として
最高な場所かも。

どんな生活になるのだろうと、今からワクワクする。

「知らない」を直視し、「知る」を増やす、という
今まで逃げてきた「やや苦痛の伴う読書」も、
ここでなら乗り越えられそう。

ちゃんと学ぶ

ぼんやりとごまかしてきた風景を、直視すること。
今年の読書目標。

2008年01月28日

FairTradeStudentNetwork

大学院生のとき、
環境と貧困というでっかい社会問題に
一筋の光を与えうるような手法に希望をこめて、
身分のフリーな学生だからこそ出来るはずのことを、と
組織した、フェアトレード学生ネットワーク。

5大学10人くらいで始まったのだけれど、
今や、FTSN東京、関西、九州、四国、中国・・・って
殆ど全国に活動が広がっている。

ほんの数年前は、誰にいっても知らないといわれた「フェアトレード」。
今は、ずっと知っている人が増えている。

「小さいパイを奪い合っている場合じゃないんだ。
互いにゆるやかでもネットワークをつくって、
まずは市場を拡大することが先決だよね。」ということで
フェアトレード団体の間を学生が自由に動き回って
つないでいくというコンセプトで出来たネットワークだったわけだけど、
少しはインパクトがあったのかしら。

当時学生だった初期メンバーは、
社会人となってそれぞれの得意分野を見つけ、
それなりにキャリアを積んでいる。

そして、そうしながらも、当時の問題意識を持ち続けている。
昨日たまたま神戸から東京に来ていた当時の友人と会うと、
やっぱり人生がそこに向かって進んでいるようなのだった。

ある人は自らフェアトレードで起業して、
ある人は博士課程に進み真実を追究しようとし、
ある人は環境訴訟に強い弁護士を目指し、
ある人は広告代理店でメディアを変えようとしている。

再びこのメンバーが会ったら、
当時企画して実現したシンポジウム+ファッションショーとかフェアトレードショップツアーとかよりも
大きなことが出来るような気がしてならない。

シンポジウム詳細

ためしに、上記司会者(FTSNの頭脳、多田君)から声をかけてみようと思う。

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