高校生の時の私は、
部活動や恋に明け暮れて、
帰宅しても琴を練習したりテレビを見たり、
好きな人のことを考えたりして忙しかったので、
家のことは何もしなかったように思います。
ところがある時、
母にお願いされて、洗濯物を干しました。
すると、母が、
「ありがとう。助かったわぁ」
と言いました。
その時にハッとしたのを覚えています。
「ありがとう」を言うべきなのは、私の方では?
当たり前に洗濯物が洗われて、
当たり前にきれいになってタンスに入れられている。
父が脱ぎ捨てた靴下も、パンツも、
次の日にはきれいに片付けられている。
こうした当たり前の背景には、
実は母の苦労があったのかと、
その母の一言とそのお手伝いをする中で
気がつくことができたのでした。
母は一体、どれほど洗濯機を回して、
食器を洗って掃除機をかけてきたのだろう。
そのたった一回を、一部だけを手伝っただけなのに
「ありがとう」と言ってくれた母に、
ただただ申し訳なく、「こちらこそありがとう」と言いながら、
少しずつお手伝いをすることを決めたのを覚えています。
最近は家族によく関わる機会が増えてきて、
そんなことを思い出しました。
私達が当たり前にしていることの中に、
実は誰かの苦労が隠れている。
ありがとうの種がいっぱい落ちているのかも。
それを発見できると、日々の幸せが倍になります。
私がそうだったから。
皆さんもぜひ、その種を発見してみてください。