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2007年10月 アーカイブ

2007年10月01日

たどり着けない

私は本当に昔から、辿り着けない女。
就職活動でもっとも大変だったのは、
「目的地にたどり着く」ということであった。

駅を出てから、一度も曲がる必要がないはずなのに、
逆方向をひたすら直進してしまう。

駅から目的地まで徒歩7分と書いてあるのに、
だいたい30分位迷う。途中、地図を見ることを諦めて、
同じ就活生のような姿をした女性の後をついていって、
途中で見失って、道行く人に必死に聞いて、
説明会3分前に到着。奇跡だ、運命だと思った。

地図があったってダメなのだ。
私が今いる場所、向かおうとしている方角が、
正しいのかどうか、そこが知りたい。
そして間違っていたらぜひ知らせてほしい、そして、
どうすればいいのか教えてほしい。

この、方向音痴の心の叫びを聞いてください、
徒歩ナビゲーションサービスさま。

地図に載っているに、なかなか視野に入ってこない目印。
もしかしてこの四角形の地図の、
向けている方向が違うのかもしれないという底知れぬ不安。

今この地図の向きを90度右に回してみようか。
違っていたら、ますます目的地から遠のいてしまう。
あぁ、どうしよう。

と時折、根拠なく強気になって、合っているか分からない
25%の可能性に賭けて、自爆するのである。

目的地までの目印が、ちゃんと予定通り右なら右に、
左なら左に現れてくれた時の安堵感たるやこの上ない。

今は、携帯のGPSサービスによって、
自分が今どこにいるのかがわかり、
目的地までどのように歩けばいいか教えてくれる。
徒歩ナビゲーションサービス様様、である。

先行のNAVITIME、
と後を追う、ゼンリンデータコムの「いつもナビ」。


今回徒歩ナビゲーションサービスの開始に当たり、ゼンリンデータコムが力を入れたのは、徒歩向けの地図情報の拡充だ。「階段とか、エスカレータとか地下街とか、本当に歩行者に必要な情報を収集した」と同社の林秀美社長は胸を張る。

「歩行者に必要な情報」、大切です。
空間把握能力のある人は、大雑把な目印でも大丈夫らしいのだけど、
私はすぐ目の前にある建物がそれで正しいのか知りたいのだ。

そのうえ、


徒歩ルート検索時に、

* 楽さ──階段を避ける
* 屋根が多い──地下街などを使う
* 距離

の3条件を指定できるようにしている。

これらは、日差しをなんとしても避けたい女性、
ヒールの靴がつらい女性には
なんともありがたいサービスなのである。

そういった+αのサービスも嬉しいのだけれど、
その前に「方向音痴にしか分からない恐怖」を
取り除くというところも、充実させていってほしい。

地図サービス向上の鍵は、
地図を何よりも必要としているのに、いつも
地図に見捨てられる方向音痴という人種が、
握っているのかもしれない。


引用元:ITmedia
“携帯専用”地図で徒歩ナビ新境地 「いつもナビ」
http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0510/05/news114.html

2007年10月08日

1%を選択した人びと

国際有機農業映画祭
http://blog.yuki-eiga.com/

日本においては有機農産物の流通に占める割合は慣行野菜の1%以下と言われています。

その、有機農業についてのドキュメンタリー作品を集めた映画祭です。

きれいな水と空気と土があって初めて、
私たちの命が育まれているという当たり前なことを、
わざわざ環境経済学の第一人者、寺西俊一先生のゼミに入って、
初めて学んだのでした。

ゼミ合宿で、有機農業をやっている宿に泊まったので、
朝早く起きて、畑を見せてもらいました。

ヤギさんの糞と、山の葉っぱを一生懸命混ぜて、
しばらく置いておくとすばらしい堆肥ができる。

宿主さんの畑は、他の人の畑に比べて
「よく生きて」いました。
人が生き生きしている、という表現がありますが
畑が生き生きとしていたのです。
私には、何かある生命体が佇んでいるように感じられました。

ふかふかで美しい漆黒の土を踏んで、
生命力の溢れる野菜を採って帰りました。

『食の未来』
http://syoku-no-mirai.net/dvd.html
(左のほうに予告編があります)

モンサント社については、もはや怒りを通り越してしまって、
諦めに近い感情を抱いていて言葉も出ない有りさまだったわけですが、
考えるのを放棄してないで、そろそろもう一度、向き合おうと
今回の映画祭の告知を見て思いました。

人間の、自然に対する高慢さには、呆然とする他なく、
いわゆる巨大資本の勢いに、ただ絶望するばかりなので、
しばらくは楽しいことばかり考えて、かりそめなる人生を
やり過ごそうと逃げていましたけれど、沸々と蘇りました。

何の罪もない子どもがなぜ、
大人たちの勝手によって
危険な目に遭わなければならないのか。

小学校のときに温暖化を勉強して感じた、この世代間不平等。

世は常に不平等なるモノではあるけれど、
少しでも、安全に暮らせる環境を遺していくことが、
1世代分を生きる私のやるべきこと。

「消費に注目せよ」

これも、寺西先生の言葉でした。
まずは自らが知り、買う(応援する)
そして、知ってもらい、買ってもらう。

排他的ではなく、攻撃的ではなく、
「良きものを応援する」という草の根運動を、
個人的にコツコツ始めたいと思います。

Web Accessibilityからのインプリケーション

どんなハンディキャップのある人も、
健常者と同じようにウェブサイトから情報を取得できるように、
という目的で生まれた概念が、ウェブアクセシビリティ。
access(アクセスする)+ability(可能性)で、accessibility。

ついこの間、日本語に翻弄され、専門用語にやっつけられつつも、
かなり不完全な状態ではありましたけれども、
最新のワーキングドラフト翻訳を試みました。

私自身がとても畑違いなので、
言っている事自体も見当違いかもしれないのですが、
思ったことが二つあったのでそれを。

■全部が全部AAA達成しなくたって、
ウェブサイトの目的によってはいいんじゃないの。

When text requires reading ability more advanced than the lower secondary education level, supplemental content or an alternate version is available that does not require reading ability more advanced than the lower secondary education level.

これを訳したときに思ったのです。

最終版ではないので、これから変わるらしいし、
その他のガイドラインと毛色が違うから、これのみをもってして
上の結論を言うのは、いささか短絡的に過ぎるかもしれないのですが。

あらゆるウェブサイトが、中等教育以下の読解力でも
理解可能にするように補足的な説明をする必要ってあるんでしょうか。

それがその年齢の人対象にしたウェブサイトだったら、
そもそもそのように作ってるでしょうから。

大体、たとえば中等教育以上の読解力があったって、
専門性の高い分野についてはどうするんだという疑問もあって。。

今はいろんなウェブサイトがあるから、
集合知を生かして自ら理解しようと思えば理解できる道も開けていて、
何も全部が全部そのウェブサイトで理解させようというのも、
ちょっと難しいんじゃないかと思ったわけなのです。
まぁ、目指すべきところが高いのは、別にいいんですけれど。

■社会の方がもっとハンディキャップについて
意識的にならないといけないって教えてもらったみたいだ。

一つ目のことを考えていた時、つまり、
ウェブサイトの内容や目的によっては全部達成しなくてもいいんじゃないか
と思った時に、そういえば、健常者以外を意識して情報を発信している
ウェブサイトは、そもそもどれ程あるのだろうか、と思ったわけなのです。

WCAG2.0を翻訳しているとき、私の頭には、
街中のバリアフリーデザインへのアンテナが張られていました。

目の見えない人の為の、駅ホームの上の凹凸ある黄色のタイル。
新宿駅では、人が並ぶ列を横切るように階段の方へ伸び、
その線は階段に完全に導かれぬまま切れて、
その先で途方にくれる杖を持った人を見かけました。

リアル世界のバリアフリーデザインでさえ、こんな状態なのだから、
世のあらゆるサービスが、健常者と同じようにそうした人々へ
提供されているとはとても言い難いのではないかと考えた時、
情報を遍くに渡していこうとがんばっているW3Cに、

ウェブサイトを通じた情報はハンディキャップを持った人でも
入手しやすいようにオレらがやっておいたよ!

なんて言われた日には、反省するしかないですよね。
だって、情報を得られたって、
他の健常者と同じようにサービスを得られないかもしれないのだから。

ウェブサイトの目的や内容自体が、そもそも健常者に向けたものであったなら、
一つ目の私の主張に従ってしまうと、AAAの存在自体意味なくなってしまいます。
(もちろん、ハンディキャップを持つ方をターゲットにしたサービスが充実
していればいいのかもしれないのですが)

「97%のWebサイトが最低限のアクセシビリティに達していない」国連調査
http://internet.watch.impress.co.jp/cda/news/2006/12/06/14149.html

私は、世の何%のサービスが、最低限のバリアフリー需要を満たせているのかを知りたい。

2007年10月13日

アホらしい自己満足

強い思いをもって訴えかけてくる人を、
無下に扱えない。

どんな人も遍く平等に、聞いて受け入れたい。

全ての人にそれをやっていると、身が持たなくなることを
そういえば前職でも感じたのだった。

前職の学習塾では口コミで評判が広がり、
私が入社したときは生徒が30人程度だったのに、
2年後には100人近くになっていた。

週に1,2回しかこない子も、3,4回も通う子もいた。
講習時期にはこちらが提示した回数を受講する子も、
あまり受講しない子もいた。

教室にとっての「優良顧客」とそうでない客という区分も
あったのはわかっていた。

けれども私にとっては、どの子もとても愛すべき存在で、
一人ひとり精一杯時間をかけていた。

一人一人に同じほど時間をかけて、
その子の学習計画を立てたりしていた。

あるときその当時の上司に、身が持たなくなるよ、と
言われたのを曖昧に思い出した。

友人に、
(私が)物乞いの子どもたち囲まれたらどうするんだろうと
つぶやかれたのを思い出した。

私の精一杯で、相手がどれくらいハッピーになるんだろう。
そこだ、そこの費用対効果の概念がまったく抜け落ちて、
単なる自己満足に終始してるんだ。

なんというアホらしさ。

先日頂いたフィードバックから、
もう少し全体がどれほどハッピーになるかという
「効果」の側面を考えてから自分がコストをかけていかないとな、
改めて気づいたのでした。

丁寧にやれば大丈夫だよ、と
これまた同じ友人が言うのを心において、
力の入れ具合を考えていこう。

2007年10月14日

ステップアップしたいコンサルの方へ

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2007年10月21日

客の前で叱らないで

今日も本屋さんへ行った。
10列以上のレジがあるのに、それぞれに5名~6名の
お客さんが並んでいる盛況振り。

好きな本を手にしているから、そんな混雑は
大したストレスにはならないのだけれど、
不愉快な出来事に遭遇した。

カウンターの向こう側で、ウロウロしている
偉いんだろうお方が、私のレジ係を注意したのだ。
非常にイライラした様子で。

そのレジ係の人はすぐさま謝罪をしたが、
「それじゃあ済まないんだよ!」とキレて
更に注意を続けていた。

あまり注視してもレジ係さんが可愛そうなので、
音楽に没頭している振りをしてそっぽ向いていたけれど、
実はバッチリ聞いていた。

内容は、預かったお金をすぐにレジに
入れないということだった。

そのレジ係さんは、謝っても許してくれない上司(?)に
どうしたらいいのか分からずしばらく黙っていたけれど、
私を待たせていたことに気づき、丁寧に頭を下げてくれた。

大勢のお客さんの前で叱られるって、
結構ダメージ大きいはずだよなぁ、と思って
勝手にレジ係さんの気持ちとシンクロさせていたら
なんだか私までどぎまぎしてきたわけだけど、
案の定その店員さんは、心の動揺を抑え切れていないようだった。

カバーをするべき本がどれだったかを
その出来事ですっかり吹っ飛んで、
手つきが覚束なくなってしまったのだ。

申し訳ありません!と再び確認する店員さんに、
「い~え!大丈夫ですよっ!」と明るく笑顔で答えるしか
出来なくて私の方がいたたまれなくなってしまった。

叱った人は非常にイライラしていて、
叱るという背景にあるべき愛情の一カケラも感じられなかった。

叱る内容がたとえ正しいものであったとしても、
状況やタイミングが本当に然るべきものであったか、
その言い方が本当に相手の心に響くものだったか、
と当事者でもないのに、妙に腹立たしかった。

実は、こういう状況を他にも、
居酒屋やカフェやニュース番組でも見たことがあるけれど、
どれも不快で、それぞれの商品サービス自体の効用が
ぐんと下がってしまった。

やっぱり、どんな状況であれ、
客の前では叱らないで。

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大好きな賢治の写真が裏表紙一面に。
作品は持っていたけれど、写真が素敵なので購入。

2007年10月22日

SQLife新コンテンツリリース

個人的に気になって気になって仕方がない
弊社サービスの一つSQLifeで、
新コンテンツをリリースしました。

■えかきっずのブログパーツ
http://sq-life.jp/ekakids/

えかきっずの写真撮影のお手伝いをさせて頂いたのですが、
子どもたちの天才ぶりが画用紙からはみ出るほど
溢れ出てしまっていて、もう部屋中キラキラでした。

毎日子どもたちの送ってくれた無邪気な絵が
更新されるんです。

How happy!!!

きっと幸運がやってきますよ♪

■魔女っ子toniのままごとレシピ
http://sq-life.jp/recipe/

失恋レシピですって!
わぉ。

食材を手にして、調理する、という
このプロセスに癒されることがあるけれど、
作って食べて傷まで癒えるなんて最高です。

まだ(?)失恋してないけれど、
今後そうなったらぜひ試してみたいと思います。

皆様もぜひ。

2007年10月28日

世の、人の美しさよ

今日、フィラデルフィア美術館展に行きました。

大学院生だった頃、
美術館には足しげく通って、
行く度に心が潤っていくのを感じていました。

レンブラントの絵画を見た時以上だったかな。
多くのお客さんがぞろぞろと並んで、
ゆっくりと絵画を近くで眺めている少し離れたところを、
私は心に訴えかけてくるものだけを
サクサクと、探して歩きました。

大学院生の美術館めぐりでは、
一枚一枚丁寧に見ていました。
その多くのお客さんのように。

でも結局いつも、心に残っているのはその中の数枚。
そしてなぜか一緒にいた人と同じ作品に感動していました。
だから心の感じるところを、見たいだけ見てやろうと
思ったのでした。

私の足を止めた作品は、

・カミーユ・ピサロ「ラクロワ島、ルーアン(霧の印象)
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この人が見た風景が浮かんで見えるようでした。
鼻先からスゥーッと、霧の空気が体中に入り込んで、
涙で風景が滲んでしまう。そういう感動を、
これ以外の作品を見ても、追体験したような気になりました。

地球の美しい空気を感じ取って、感謝している人だ。
よく知らないけど、そんな風に感じました。

・クロード・モネ「睡蓮、日本の橋」
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作品名を後から知って驚きました。
大きなキャンバスは、もうほとんど色なのでした。
モネは、そんな風に景色を捉えているのだとしたら、
画家は現実に生きながらにして既に天国をみていたのでは
ないかと思わせます。

・アメデオ・モディリアーニ「ポーランドの女の肖像」
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完全に私の足を止めてしまいました。
「すごい」と、小さくつぶやいてしまいました。
写真が悪いのでよくわからないと思いますが、
だいたいそういう作風です。
女性が座っています。ある表情で。

なんという人生を後ろに背負っているんだろう。
そう思わせるのです、たった一枚の絵で。
やや暗めのくしゃりとした、ザワザワした
気持ちになったのでした。

・パブロ・ピカソ「三人の音楽家」

大きなキャンバスに、楽しそうに演奏する三人がいました。
思わず笑顔になりました。

でもなぜだろう、ポストカードになると魅力が
半減どころか、10分の1以下になってしまうのでした。
ラスベガスで「座る女」を見た時と同じエネルギーを、
その一枚の絵から感じ取ったのに。
あまりの魅力のなさに、ポストカードをついに買いませんでした。

絵を見ると、画家の目を借りて世界を見ている気になります。
私たちはなんという美しい世界に生きているのだろうと、
気づかなかったことにハッとさせられるのです。

そして、「ポーランドの女の肖像」のように、
ただ黙って座りながらも、様々な感情を抱かせる人の絵を見て、
色々に苦悩して、歓喜して交々生きていくのが人間で、
なんだかそれ自体が愛おしく思えてくるのでした。

芸術の秋、そういえばそんな言葉もありました。
上野は外も中も、芸術で溢れていました。
近くではムンク展、シャガール展もやっていましたよ。

みなさんもぜひ。

100キロ歩け歩け大会

会社のイベント、100キロ歩け歩け大会。
有志のみが参加。

私は諸々の事情ゆえ参加できないのですが、
心だけは参加していました。

そして参加しなかった会社の人も、
そういう意味ではみんなみんな参加していました。

twitterという、気軽に独り言をポストできるSNSがありますが、
そこでは常に参加していない人の、
参加者への応援や心配が数々投稿されていました。

なんだか土日ずうっと、心は名古屋。
天候は大丈夫だろうか、風引きさんは大丈夫だろうか。
今は何キロくらいなんだろうか。寝られるのかしら。
雨天から晴天の、温度差に対応できるかしら、などなど。

参加者の中にもtwitterで様子を教えてくれる方がいて、
それはそれは感動的な地球と一体になる瞬間など、
参加者の大変な思いを想像しつつ、
その感動も少しだけ分けてもらって、
遠くに身を置きながら、すっかり心はその大会に向かっていました。

みんなが無事に帰ってきたという知らせを聞いたときは、
とてもとても肩の力が抜けて、うれしくてうれしくて、拍手をしました。

「あぁー本当によかったねぇ、お疲れ様!」
パチパチパチ!

でした。

参加していないのに、
こんなに一体になれるなんて不思議なイベントだと思ったのでした。

参加者のみなさん、サポートのみなさん、
本当にお疲れ様でした!

明日の表情を見るのがちょっと恐ろしいですが、
できることは一生懸命がんばりますから、
なんとかがんばって来てください!

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